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特集:変わるアジアの労働・雇用環境と産業界の対応 情報通信業・金融業などで高技能人材需要が急増(フィリピン)
欧米基準に合わせ、日系企業で労務管理が厳格化する例も

2021年10月6日

新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)の感染拡大直後、フィリピンでは失業者数が急上昇。主に生産性の低い未熟練労働者が、大きなダメージを受けた。一方、生産性の高いハイスキル人材・デジタル人材への需要は、情報通信業や金融業を中心にいっそう高まった。新型コロナ禍を経て、短期的には優秀な人材をめぐる企業間の競争が激化する一方、長期的にはフィリピン産業全体の高度化に資する可能性がある。また、昨今、サプライチェーンにおける人権尊重の観点から、欧米との取引基準に合わせて労務管理を変更する日系企業の事例がみられる。

新型コロナ対策で経済活動に大きなダメージ

フィリピン政府は、新型コロナの感染拡大を防ぐため、2020年3月中旬から厳格な経済・移動制限措置を実施した。まず、フィリピンの人口の半数以上を占めるルソン島全体(マニラ首都圏が立地する島)に、「コミュニティー隔離強化措置(ECQ)」を発令(注1)。外出禁止や公共交通機関の停止、必要不可欠な産業以外の操業停止が命じられることになった。その後、セブ市やダバオ市などを加え、対象範囲を拡大していった。制限措置は、2020年3月中旬から4月にかけて最も厳しかった。2020年5月中旬からは、国内外の新型コロナの感染状況などを踏まえて、厳格化と緩和を繰り返している。2021年7月28日時点でマニラ首都圏に適用されているのは、GCQ(コミュニティー隔離一般措置)だ。各種の経済活動が制限されつつも、おおむね2020年3月のECQ導入時より規制は緩和されている。

長期的には経済活動を活性化させるため、フィリピン全体としては経済・移動制限措置を緩和していく方向にある。しかし、依然として企業は新型コロナの感染拡大防止のため、高コスト負担を強いられている。大企業または中堅企業は事業を再開するにあたり、従業員に通勤シャトルサービスを提供し、感染の徴候が見られる従業員を一時隔離する部屋を設置することが求められている。また、職場外で感染した従業員の隔離措置や夜間外出禁止による残業制限などで、製造業企業にとっては工場での出勤シフトが組みづらい状況にある。

労働市場に回復の兆しあり

フィリピン経済は、経済・移動制限措置によって大きなダメージを受けた。2020年の経済成長率はマイナス9.6%。同国での統計開始以来、最大の下げ幅となった。経済への悪影響が最も大きかった時期は、厳格な制限措置が運用された2020年第2四半期(4~6月)。同期の経済成長率は、マイナス17.0%にまで落ち込んだ。

経済活動の低迷は、労働市場に直ちに影響した。失業率は、2020年4月に17.6%まで急上昇(図参照)。もっとも、2020年7月に経済・移動制限措置の一部緩和を受け、失業率は10.0%に下がった。2021年7月28日時点の最新の統計では、2021年5月の失業率は7.7%まで低下している。また、「就業先または他の事業所で現在より長く働きたい労働者が就業人口に占める率」を示す不完全雇用率は、2020年4月の18.9%から改善し、2021年5月には12.3%と推計されている(コロナ禍前の2020年1月の値は14.8%)。失業率に関しては依然として新型コロナ禍前より高水準なものの、総じて労働市場は回復基調にあると言えよう。

図:失業率の推移
2020年4月に17.6%と急上昇したが、その後同年7月に10.0%まで減少、その後ゆるやかに減少して2021年5月には7.7%まで減少した。

出所:フィリピン統計庁(PSA)からジェトロ作成

一時解雇の最長期間を延長

フィリピンでは従来、一時解雇の最長期間は6カ月と定められていた。新型コロナ禍によって企業の事業・雇用環境が悪化する中、フィリピン労働省(DOLE)は2020年10月、労働法の施行細則の一部を改定。省令215-2020PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(KB)(725.97KB)により、一時解雇の最長期間を6カ月間から1年間に延長すると発表した(2020年11月4日付ビジネス短信参照)。この改定では、戦争や(新型コロナのような)感染症の流行、その他の国家緊急事態に際して雇用主と労働組合または従業員が合意に至った場合、さらに6カ月間延長できると定めた。なお、一時解雇期間の延長に関して、(1)雇用主は延長期間の始まる10日以上前にフィリピン労働雇用省(DOLE)の所管支局にその旨を届け出なければならない、(2)従業員が一時解雇期間中に他の就業先を確保しても、その従業員から雇用主に書面で退職届を提出しない限り元の雇用は維持される、などの条件も課された。

フィリピン労働雇用省は当該措置の導入理由の1つとして、「一時解雇が最長期間(6カ月)を超過したというだけの理由で、労働者が永久に解雇されるのを避けるため」とコメントしている(政府通信社2020年10月28日付)。コロナ禍によって、幅広い業種で現実に一時解雇が行われている。雇用主側にとってはいつ事業を再開し、一時解雇した人員を再雇用するのか労務管理計画を立てるのが困難な状況だ。そうした中で、一時解雇の期間に関して規制を緩和し、より柔軟な労務管理を可能とした。

新型コロナ禍でも、高学歴層への影響は比較的少ない

前述の通り、新型コロナ禍によって経済環境が悪化し、全般的に失業率が高まった。しかし、フィリピンの労働者が受けた影響は一様ではない。

2021年3月に発表されたアジア開発銀行(ADB)のレポートPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(KB)(2.59MB)では、新型コロナ禍が労働市場に与えた影響を分析している(注2)。同レポートによると、新型コロナ禍に伴う経済・移動制限措置によって最もインパクトを受けたのは、低所得者や未熟練労働者だった。失業率が急上昇した2020年4月の時点で、統計上、失業者の64%が「教育を受けていない者」と「最終学歴が初等教育の者」「最終学歴が中学校の者」とADBは推計。低学歴者が多くを占めていることになる。

これを検証するため、フィリピン統計庁(PSA)が発表するデータを基に、2019年4月、2020年4月、2021年4月、それぞれの時点での最終学歴別での失業者数を推計してみる。その結果は、表のとおりだ(増加率は前年同月比)。2020年4月は、「教育を受けていない者」と「最終学歴が初等教育の者」の失業者数の増加率が300%を超え、これら低学歴層の失業が顕著に増えたことが分かる。一方、労働市場が回復した2021年4月は、「教育を受けていない者」の失業者数の増加率がマイナス72%、「最終学歴が初等教育の者」がマイナス65%。他の学歴層よりも失業者が大きく減少した。こうしてみると、新型コロナ禍で生じた急激な失業率上昇の大部分は、低学歴層の雇用環境悪化によって発生した可能性が大きい。

表:最終学歴別の失業者数(2019年4月、2020年4月、2021年4月)(△はマイナス値、-は値なし)
最終学歴 失業者数(単位:千人) 増加率
(2020年/2019年)
増加率
(2021年/2020年)
2019年
4月
2020年
4月
2021年
4月
教育を受けていない 11.4 47.9 13.6 320% △72%
初等教育 319.5 1,392.8 481.0 336% △65%
中学校 845.0 3,144.5 1607.8 272% △49%
高等学校 115.3 257.8 242.2 124% △6%
ポストセカンダリースクール 192.5 370.9 267.2 93% △28%
大学 784.5 2,014.1 1526.0 157% △24%
労働力人口(就業者人口と失業者人口の合計) 44,038 41,058 47,407 △7% 15%
失業率 5.2% 17.6% 8.7%

出所:フィリピン統計庁(PSA)発表を基にジェトロにて推計・作成

学歴別で失業者数の増加率が異なる理由は何か。ADBは「高い教育を受けている者はリモートワークが可能な職種に就いている場合が多く、失業や勤務時間の短縮といった新型コロナ禍によるマイナスの影響を比較的に受けないため」と分析している。

企業が優秀な人材の囲い込みへ

また、失業率が新型コロナ禍前より高い状況下でも、企業の採用活動は必ずしも以前より容易になっていないという見解がある。その理由の1つとして、企業側が採用を希望するような生産性の高い人材について、新型コロナ禍で企業側の需要がさらに高くなった可能性が挙げられる。フィリピンで大手の総合人材サービス企業ジョン・クレメンツ・コンサルタンツの太田貴氏は、「新型コロナ禍により企業の事業活動が困難に直面している中、企業によっては昇給を行ってでも、自社に優秀な人材を引き留めようとする」と指摘した(2021年7月14日に聴取)。その上で、「合理的な経営判断の下、企業が自社内に優秀な人材を囲い込んむ結果、(全体の失業率は高まっている状況下でも)優秀な人材に関しては労働市場での流動性はあまり高まらない。その結果、採用が難しい場合がある」と説明した。

フィリピンでの人材採用が難化した他の要因として、太田氏は「新型コロナ禍によって、フィリピンにいながら海外企業と直接契約を結ぶ『越境リモート労働』が拡大している」ことを挙げた。海外企業の中には、フィリピン国内に拠点を持たず、法人所得税などの税負担を受けずに、フィリピン人と契約して利益を上げているケースもあるという。あわせて、フィリピンに拠点を有する企業との間で人材獲得競争を生むだけでなく、課税の公平性の観点からも問題があるのではとの指摘もあった。

情報通信業や金融業でハイスキル人材需要が急拡大

生産性の高い人材への需要増加が特に顕著なのが、情報通信業と金融・保険業だ。これら2業種は、フィリピン経済がマイナス成長に転じた2020年第1四半期(1~3月)以降もプラス成長を維持している。

情報通信業に関しては、IT-BPM産業の例を挙げたい。IT-BPM産業とは、ITを活用した業務委託サービス全般を指す。コンタクトセンター(注3)や医療情報管理、バックオフィス業務などが含まれる。フィリピンでは2000年代以降、同国の低廉な人件費を武器に飛躍的な成長を遂げていた。それが新型コロナの感染拡大当初に、IT-BPM企業は在宅勤務へスムーズに移行できずに、一時的に生産性が大きく低下した。しかし、その後、従業員のテレワーク環境を整備し業務のデジタル化を推進することで、急速に生産性を回復した(2021年3月31日付地域・分析レポート参照)。結果として、フィリピンIT-BPM産業の2020年の成長率は、前年比で1.4%増の267億ドル。同産業の雇用は1.8%増の132万人となった(「ビジネス・ミラー」紙2021年6月11日付)。フィリピンITビジネスプロセス協会(IBPAP、IT-BPM産業の業界団体)の調査によると、2021年については、87%のIT-BPM企業が5%から15%の事業成長を見込んでいるという。

生産性を高めるべく、IT-BPM企業は人工知能(AI)や業務自動化の技術導入を積極的に推進している。そうした状況の中で、理工系技術などのハイスキルを有する人材への需要が急激に高まっている。ジェトロがインタビューを行った大手IT-BPM企業A社は、他国と比較した際に、高い技術を有する人材が労働市場で豊富に供給されていることをフィリピンの優位性として挙げた。同時に、「他のIT-BPM企業との間で優秀な人材の獲得競争が発生しつつある」とコメントした。

次に、金融・保険業に関して。新型コロナ禍以前は、一部の金融機関が業務・サービスのデジタル化を進めていた。その例として、大手ユニバーサルバンク(注4)のユニオン・バンク・オブ・ザ・フィリピンを挙げることができる(「ザ・アジアン・バンカー」紙2018年5月15日付、国際労働機関(ILO)のレポートPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(KB)(6.37MB)参照)。同行は、ロボティクス・プロセス・オートメーション(RPA、注5)を積極的に導入することで、以前は行員が行っていた定型業務を自動化。生産性を大きく高めることに成功した。ただし、金融産業全体としては、デジタル化が遅れていると指摘されてきた。

新型コロナ禍後は、移動制限が課され、非対面型のコミュニケーションが推奨されるようになった。その中で、デジタル金融サービスへの需要が増大した。加えて、フィリピン中央銀行(BSP)は2020年12月、同国の金融産業のデジタルシフトを進めるため、新たな金融機関の類型として「デジタル銀行」を導入。物理的に支店を設置することなく、金融商品・サービスをデジタルで提供する事業が認められたのだ。フィリピンの金融産業のデジタル化が進む中で、金融産業においても理工系人材やデジタル人材が求められるようになってきた。

ハイスキル人材への需要増加に関しては、これまでフィリピンが悩まされてきた海外への頭脳流出の問題が緩和されるというプラスの側面もある。ジェトロがインタビューを行った大手銀行B社は「以前は、データサイエンスなどで優れた技術を有するフィリピン人は、就労機会を海外に求めることが多かった」と話す。その結果、フィリピンに残るのは二流三流の人材の割合が多くなり、「フィリピンにハイスキル人材は少ない」という印象を抱かせる要因になっていた。しかし、今や多くの優秀な人材がフィリピン国内で働くようになった。「そうした事態が変化しつつある」という。

しかし、フィリピン国内でハイスキル人材需要が高まることは、一時的にハイスキル人材をめぐる企業間の採用競争激化さが起こり得る。一方で、長期的には、労働市場において高度な技術・知識を有する人材の賃金上昇をもたらし、今まで海外就労を目指していた人材にとってフィリピン国内で就職するメリットが高まるだろう。その結果、国内産業全体で人材のレベルが高まることで、知識・技術の伝達が活発化し、同国産業の生産性が大きく高まることも考えられる。

欧米企業基準に合わせ日系企業の労務管理が厳格化

労働をめぐる諸課題の1つとして、昨今、サプライチェーンでの人権尊重が大きな関心を集めている。この問題に関しては、フィリピンで活動する日系企業にも取り組み事例がみられる。

前出の太田氏(ジョン・クレメンツ・コンサルタンツ)は「欧米の大手企業と取引を有する日系企業にはこれら欧米企業より監査が入り、コンプライアンスを順守しているのか厳しいチェックを受けている」と話す。加えて、これら欧米企業から、フィリピンで定められている法規制よりも手厚く従業員を処遇するように要求されるケースもあるという。その一例が、試用期間の短縮化だ。フィリピンでは、労働者について正社員としての雇用を検討するにあたり、6カ月間までの試用期間が認められている。一方、取引先の欧米企業からは、試用期間を3カ月間までに短縮するように求められるケースもある、と太田氏は言う。こうした欧米企業からのコンプライアンス順守や労働者の処遇改善要求に、日系企業は誠実に取り組んでいる。「そのため、現時点では、日系企業自体が人権の面から大きな問題を抱えるケースは少ないのでは」と指摘した。ただし、安心はしきれない。日系企業が取引するフィリピン企業側で、「見えないところで人権問題が発生している可能性はゼロではない」ためだ。


注1:
最も厳格な隔離措置から順に、ECQ(コミュニティー隔離強化措置)、MECQ(修正を加えたコミュニティー隔離強化措置)、GCQ(コミュニティー隔離一般措置)、MGCQ(修正を加えたコミュニティー隔離一般措置)。
注2:
ADBの当レポートでは、インダストリー4.0時代におけるフィリピンでの職業訓練・教育について取りまとめられた。
注3:
電話やメール・チャットなどで顧客応対する事業所・部門。
注4:
ユニバーサルバンクとは、リテール、ホールセールや投資銀行などさまざまな金融サービスを提供する銀行形態を指している。
注5:
RPAとは、パソコンで行う事務作業を自動化できるソフトウェアロボット技術を指す。
執筆者紹介
ジェトロ・マニラ事務所
吉田 暁彦(よしだあきひこ)
2015年、ジェトロ入構。本部、ジェトロ名古屋を経て、2020年9月から現職。

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